最高裁勝利!泉南から建設に勝利をつなぐ11.27アスベスト大集会御礼

報告が大変遅くなってしまい申し訳ありません。
11月27日に開催されました判決報告集会にはたくさんの皆様にお越し頂きましてありがとうございました。当日は公害研究の第一人者である宮本憲一滋賀大学名誉教授から、最高裁判決の歴史的意義について講演を頂きました。


泉南最高裁判決の歴史的意義とアスベスト被害の完全救済を
宮本憲一

1. 泉南アスベスト災害最高裁判決の意義
10 月9 日の最高裁判決は日本のアスベスト紡織の中心地の泉南地域の被害に対して、アスベスト対策の失政について初めて国の責任を認めた画期的な判決であった。おそらくこれは被害救済について他のアスベスト裁判のみならず、水俣病などの社会的災害についての国の責任論に大きな影響を与え、アスベススト救済法の改革に発展するに違いない。ここではまずこの判決の歴史的意義を明らかにしたい。しかしこの判決によって、すべての被害が明らかになり、救済が完結するのではない。この判決では一部の原告が救済されなかった。この判決ではさらに多くの被害に対する国の責任が解消されてしまう。ここではまずこの判決の意義を明らかにし、次いで、これ以後の全面救済への展望を紹介したい。

2005 年6 月のクボタショック以来、隠されていた深刻なアスベストの被害が明らかになり始め、企業と国の責任を追及する世論が起こり、政府はあわてて翌年2 月に「石綿による健康被害の救済に関する法律」を制定した。この法律はアスベスト対策を求める世論の火消しの役割のために、あわてて作られたので、欠陥が多かった。同じような目的を持ったフランスの救済法が国の法的責任を認め、もれなく救済する性格を持っているのに対して、日本の救済法は政府の法的責任を認めず、できる限り救済するといいながら、被害者の全面救済になっていない。これまで政府は法的責任を取ろうとしなかった。2005 年9月29 日環境省は「政府の過去の対応の検討(補足)」で次のようにのべている。「検証結果全体としてはそれぞれの時点において当時の科学的知見に応じて関係省庁による対応がなされており、行政の不作為はあったということはできないが、当時においては予防的アプローチ(完全な科学的確証がなくても深刻な被害がもたらす恐れがある場合においては対策を遅らせてはならないという考え方)が十分に認識されていなかったという事情に加えて、関係各省庁
間の連携がかならずしも十分でなかったなどの反省すべき点も見られた。誠に歯切れの悪い結論だが国の責任を否定した。これに対して最高裁は原告が国の責任として挙げた3 点について次のような判決を下した。

(1)石綿肺の医学的知見が確立した1958 年には、国は工場に粉じん局所排気装置の設置を義務付けるべきであった。しかるに71 年特定化学物質など障害予防規則(旧特化則)まで規制権限を行使しなかったのは違法である。
(2)アスベストの濃度規制を強化しなかったことが当時の知見から著しく合理性を書くとは言えない。
(3)石綿工場での粉じん対策として補助的手段に過ぎない防じんマスク着用を義務化しなかったことが著しく合理性を欠くとは言えない。

この判決を出すにあたって、小法廷は「労働環境を整備し、生命、身体に対する危害を防止するため、国は技術の進歩や科学知識に合うように適時適切に規制権限を行使すべきだ」と判断の指針を示した。また「規制権限の不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときはその不行使による被害を受けた者との関係で違法」とした。これは規制の基準を行政の裁量や費用と便益の比較衡量に任せず、被害者の基本的人権の擁護におく社会的災害裁判の成果が採用されたといってよい。この判決の歴史的意義はここにあるといってよい。
石綿肺が医学的に認められたのは、1900 年代であり、日本では1930 年代に当時としては世界的な調査が泉南地区でなされて、石綿による被害が確認されている。したがって医学的知見確認の時期についての問題が残るが、少なくとも戦争直後の1958 年から国の責任が生じていることを明示したのは大きな成果である。そして、1971 年旧特化法までの13 年間の労働現場の石綿暴露による被害についての国の責任を認め賠償を命じた。泉南地域では事業所がほとんど消滅し、この期間における事業所の責任を追及することはできない。判決は国の負担を2 分の1 と認容した。これは水俣病の4分の1 など従来の認容と比べて、国の責任が重い。これは石綿被害の深刻さと、長年にわたる対策の遅れから言って適切であるが、他の裁判へも影響するであろう。判決の他の2 点については意義がある。

2. アスベスト被害の全面的救済のために
国の責任を1958 年から71 年の13 年間に限っていることには基本的な疑問がある。実際には2005 年のクボタショックまで基本的な対策は取られなかったのである、不完全ながら行政の救済は2006 年からやっと始まったのである。それを法制の制定で規制が行われたとして、責任年限を輪切りにして制限するのは、社会的災害から国民の生命・健康を守るべき国の最終責任を免罪するもので認めることはできない。私はアスベストの国の責任は次のように考える。
アスベストの被害は不治の病である。特に中皮腫や石綿肺がんは死病である。したがって、この恐れのある作業や環境を放置できないのであって、アスベストを管理使用することは許されず、安全のためには使用禁止以外にない。さらに蓄積されているアスベストも除去して、アスベストフリー社会を創らねばならない。このために50 か国がすでにアスベストの使用を禁止している。またアメリカやカナダなども事実上使用禁止といってよい。その意味では日本は欧米に20 年間遅れ、他の国が禁止あるいは事実上停止していた。
80?90 年代に大量に使用したのである。つまり先の国の責任がないと判決が判断して以後実に40 数年の間に多数の労働者や市民がアスベストに暴露されたのである。しかも、80 年代は世界最高の使用をしていたので、大量の犠牲者が発生する原因を生んだのである。現実の規制行政はクボタショックまではほとんど積極的に動いていなかった。アスベストの危険を告知することさえさぼっていた。
しかも使用を禁止するチャンスはあったのである。1985?87 年はアスベストを禁止する機会が訪れた。私はアメリカの経験から見れば、日本は毎年2000?3000 人のアスベスト関連の死者が出ているのでないか、このままでは被害はつぐなえるのかと警告の論文を1985 年に『公害研究』発表した。同じ時期に米航空母艦ミッドウェイが解体工事で大量のアスベストを廃棄し、その飛散が社会問題となった。さらに87 年にかけて学校や保育所の吹き付けアスベストの被害が問題化した。国は1985 年特化法を改正したが、防じんマスクを義務付けず、1995 年になってようやくマスクの義務付けをするにとどまった。環境省は自治体が申し出でた工場周辺の環境調査をはじめたが、住民の健康調査をせず安全宣言をした。1987 年公害健康被害補償法の全面改正が行われ、政府は企業の強い要求でSOx の環境基準の達成を理由に大気汚染地域を解除し、公害は終わったとした。しかしこの改定の際に、専門委員会の委員長であった鈴木武夫は沿道の大気汚染(NOx やPM2.5)やアスベストの大気汚染を警告したが、中央公害審議会や国はこれを入れなかった。そして、
このアスベスト問題も数年で消されてしまった。
アスベストの被害は2005 年6 月に勇気のあるクボタ工場周辺の被害者3人が支援団体とともにクボタを公害として訴えたことによって、企業・業界団体と政府が資料を公開し、はじめて驚くべき石綿被害の実態が明らかとなった。アスベスト被害が隠されていた証拠に1995 年から2004年までの10
年間で肺がんと中皮腫の労災認定者は653 人、年平均65 人に過ぎなかった。クボタ・ショックと救済法制定時の2006 年には30 倍近い1784 人、以後年2000 人が認定されている。労働衛生センターの推計では2009 年までに石綿肺がんと中皮腫の死亡者は4 万8159 人これに対して、救済されたのは1 万2703 人に過ぎない。3 万数千人以上の人が放置されたのである。つまり、国の責任の限度とされた1972 年以降少なくとも毎年1000 人以上のアスベストによる死者が出ていて、救済されなかったのである。これで濃度規制が的確であり、規制はされていたといえるのであろうか。これを国の責任といわずしておれるだろうか。
私は少なくとも国の責任は2006 年にアスベスト使用の全面禁止をして、救済法を公布した時まではあると考える。そして、今後も救済法に不備があり、被害者が救済されない場合の責任は生ずると考える。
第2 に行政の不作為は法・省令・規則など法制が制定されれば解消するのではない。それが実行されて効果を上げているかどうかを確認して判定できると考えている。阪神淡路大震災の際には解体の労働者・市民・ボランティアはほとんどマスクをかけていなかった。かけていても防じんマスクではなく、普通のマスクであった。このように現実に規制の効果が上がっていなければ、行政の不作為といえるのでないか。これまで述べたように数万人の死者が救済されずに放置されていたと推定される場合、行政の不作為による国の責任が1958 年?1971 年、あるいは1975?95 年(注:建設アスベスト訴訟福岡地裁判決が国の責任を認めた範囲)の期限付きで終わるのは現実に反しているというべきである。行政の不作為は今も続いているというべきであろう。
私たちは最高裁の歴史的勝訴判決を土台に、アスベスト被害者の全面救済に向けての世論と運動を起こそうではないか。

3. 今後の課題
これからはとくに建造物、上下水道、橋梁、道路構築物、発電所などの解体時のアスベストの飛散、災害時のアスベスト対策が課題となる。その他沢山の課題があるが、全般的なことについて項目だけをあげておく。
(1)救済法の改革
(2)できれば救済制度を含めたアスベスト災害対策法の検討
(3)疫学調査(事業場内、周辺地域)、被害の掘り起し
(4)解体時の安全の徹底
(5)アスベスト含有建造物を明示した災害危険予想図の策定
(講演録以上)


原告の山田哲也さんから以下のとおり、挨拶がありました。

【山田哲也】
泉南アスベスト国賠訴訟原告団・共同代表の山田哲也です。
去る10月9日、最高裁にて、私達は、勝利の判決を得ることができました。本日、この場で皆様にご報告できることを、本当に嬉しく思います。
大阪高裁へ差し戻となった一陣の裁判についても、国側から和解の申し入れがあり、私達の悲願であった、生きているうちの早期解決へ大きく前進いたしました。
本当にありがとうございました。
ご支援者の皆様が、わが身のことのように支えて下さり、そして、不屈の精神をもって国へ立ち向かって下さった、強じんな弁護団の皆様のお力添えがあり、私達は8年以上に及ぶ裁判を闘いぬくことができました。
1陣高裁で不当な判決を受けた時、私たちは闘う気力を失いかけました。
しかし、なぜアスベストの被害に苦しまなければならないのか、その責任はどこにあるのかと、もう一度思い直してみれば、この判決をひっくりかえさなければならないと一致団結しました。
そして、先日国から正式な謝罪を受けた時は、必死になり闘ってきたことがようやく報われたとの思いで、原告一同が安堵いたしました。闘い半ばで、亡くなった原告14名も天国で喜んでいるかと思います。
私達が勝利したことは、全国のアスベストによる被害者の方にとって、大きな励みになったのではないでしょうか。そのことが何よりも嬉しく、今日は胸を張って、泉南アスベスト国賠訴訟原告勝利のご報告とさせて頂きます。
泉南地域では、また、さまざまな問題が残っています。この問題を解決するには、建設アスベスト訴訟をはじめこれからの裁判を勝ち続けていき、法や制度を見直すほか道はありません。
それまで皆さまと共に闘って参りますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。ありがとうございました。

泉南市・阪南市の市長、国会議員、支援者などから多数のメッセージを頂きましたので以下からご確認ください。

141127集会メッセージ.pdf