実績(解決した事例)

2 裁判上の和解で企業から慰謝料等を獲得した事例

■鹿島・竹中事件(建設会社)

 2009年11月6日、大阪地方裁判所において、大手ゼネコン(総合建設会社)である鹿島建設・竹中工務店と被害者Xさんとの間で、両社がXさんに解決金を支払う和解が成立しました。本件は、建設労働者が大手ゼネコンを被告として起こした、全国初のアスベスト訴訟です。

 Xさんは、1964年から約30年間、下請会社の従業員ないしその孫請として、軽天下地(天井裏の鉄骨の骨組を作る作業)やボード貼りなどの作業に従事しました。Xさんは、作業中に鉄骨に吹き付けられたアスベストを「はつる」などしたため、大量のアスベストに曝露し、石綿肺及び続発性気管支炎(管理2+合併症)に罹患。2006年2月1日に鹿島建設・竹中工務店を被告として損害賠償請求訴訟を起こしました。

 建設労働者によるゼネコンに対する訴訟特有の問題として、現場特定の困難があります。本件訴訟では、Xさんの記憶だけを頼りに、かつてXさんが軽天下地などの作業をしたビルを探し求め、最終的には54カ所の現場を特定しました。Xさんの記憶では、そのうち鹿島・竹中の現場が約8割でした。鹿島・竹中は現場特定を含むあらゆる争点について徹底的に争ってきましたが、Xさんの体調悪化を踏まえ、裁判所の強い意向で和解協議が進められました。

和解にあたって裁判所が考慮した事情はおおむねXさんの主張に沿う内容で、和解金額もそれまでの慰謝料水準(筑豊じん肺控訴審判決:管理2+合併症の場合1300万円)を超える勝訴的和解でした。また、鹿島・竹中は謝罪条項として「心から遺憾の意」を表明しました。

 

■安藤建設事件(建設会社)

 2010年8月3日、大阪地方裁判所において、中堅ゼネコン(総合建設会社)である安藤建設と被害者Xさんの遺族原告Yさんとの間で、安藤建設がYさんに解決金1800万円を支払う和解が成立しました。

 Xさんは、1966年から1974年頃までの約8年間、安藤建設の下請会社であった依田建設に勤務し、「はき屋」の作業に従事していました。「はき屋」とは、資材の片付けや養生、清掃作業など、建築作業の開始から終了までの雑用一切を行う職種で、建材から飛散したアスベストにばく露します。Xさんは、腹膜中皮腫を発症し、2000年10月に69歳で亡くなりました。

 Xさんの娘Yさんは、2007年10月、元請である安藤建設を被告として損害賠償請求訴訟を提起。裁判では、元請である安藤建設の現場を含む建設現場でXさんがアスベストにばく露して中皮腫を発症したことを確認した上、Xさんが働いた現場の多くが特定困難であったこと、Yさんに石綿救済法に基づく特別遺族一時金の支給があったことなどを踏まえ、和解による解決に至りました。安藤建設は和解条項の中で、Yさんに遺憾の意を表明するとともに、「今後も建設現場における石綿粉じん曝露事故の防止に努める」ことを約束しています。

 

■A社事件(配管設備会社)

 2012年、配管設備会社であるA社と肺がんで亡くなった被害者Xさんの遺族原告Yさんとの間で、裁判上の和解が成立しました。

 Xさんは、1967年から約40年間、配管設備工事の現場監督に従事し、1980年からはA社に勤務していました。Xさんの死亡後、2010年に遺族YさんがA社に対して損害賠償請求訴訟を提訴。一般に、遺族が被害者の仕事内容やアスベスト曝露の状況を立証することは極めて困難ですが、このケースでは、提訴に先立ってA社に対する証拠保全を行い、Xさんが働いた現場の図面や仕様書を入手することができました。このような有利な証拠もあったため、判決で認められ得る慰謝料を上回る水準の解決金を受け取る内容で和解することができました。

 

■B社事件(造船会社)

 2012年、大手造船会社であるB社と中皮腫で亡くなった被害者Xさんの遺族原告Yさんとの間で、裁判上の和解が成立しました。

 Xさんは、1948年から約35年間、大手造船会社であるB社の従業員として、船舶の溶接作業に従事しました。溶接作業は、火除け等に石綿布を使うためアスベストにばく露することの多い仕事です。Xさんの死亡後、2011年に遺族YさんがA社に対して損害賠償請求訴訟を提訴。提訴から1年足らずという比較的短期間で、判決で認められ得る慰謝料とほぼ同水準の解決金を受け取る内容で和解することができました。