弁護団の概要

`05.6 ?'11.9 大阪じん肺アスベスト弁護団の活動     2011年10月

弁護士  芝  原  明  夫

 1、弁護団の活動経過 2005年(平成17年)6月30日のクボタショック以降、それまでやってきた大阪じん肺弁護団にたくさんの公害環境関係の弁護士が参加して8月から『大阪じん肺アスベスト弁護団』に改組し、アスベスト救済に取り組み始めました。アスベスト被害には労災型と公害型があり、弁護士の得意分野も多様です。 (1) 2005年8月23日に緊急集会を大阪市内で開きました。それほど宣伝もしなかったのに、80数名の参加がありました。その中で、現在泉南地域で活動をしておられる市民の会の柚岡一禎さんと知り合い、海老原勇先生という、アスベストについて一番造詣が深い東京の医師とも知り合うことができました。 2005年9月1日には電話相談活動を行い、約80人の相談者を受け付けました。10月24日に泉南地域での集会を行い、その時に水嶋潔先生とも知り合い、民医連と繋がっていくという成果も得ました。同時に、10月に登録した新人弁護士が大量に参加し、その人達がこの弁護団の活動の中心的な役割を担うようになりました。 11月10日には、民医連の協力も得て、泉南地域にレントゲン車を持ち込み、医療法律相談を行いました。そのデーターが我々の活動の基礎になっています。110名ぐらいの相談者があり、ひどいアスベスト被害が出ていること、それらの人達が労災申請すらしておらず、今までに全く救済されていなかった実態が判明しました。

(2) 2006年3月11日には、宮本憲一名誉教授にも参加していただいて、『国の責任を問う』というシンポジウムを泉南地域で行いました。弁護団が発足してから、国家賠償の責任追及は可能なのかという研究を6ヶ月間してきましたが、その集大成となるシンポジウムでした。 そして5月24日、原告8名(被害者8名)が第1陣として、日本で初めて国賠訴訟を提訴しました。その後、追加提訴を経て原告数31名(被害者26名)の第1陣原告団を構成しています。 また、不十分な政府のアスベスト救済新法に対して、意見書を作成し、関係各所に送りました。 この年、民医連・市民の会の協力で月2回のアスベスト特別診療を行い、毎月新規の相談者が受診できる体制が整いました。 9月22日には全国の公害・環境問題の弁護士に呼びかけて、『泉南アスベスト公害シンポジウム』を行う活動もしました。 和歌山で一斉健康診断をした際には、和歌山の民医連の方にもご協力いただいて、27名の相談者がありました。泉南地域に働きに出ておられた労働者の他に住友金属関係の下請企業の労働者が6名健康診断に来られ、アスベスト被害の広がりが判明するという成果も生まれました。  

(3) 2007(H19)年1月10日、旧三好石綿で働いていた労働者と隣接の農業従事者が現三菱マテリアル建材に補償を請求する請求人団を結成し、訴訟外での補償を求めることにしました。

 1月から「大阪胸膜プラーク研究会」が、水嶋医師・患者の会古川和子さん・関西労働者安全センター片岡明彦さんの参加で発足しました。 2月10日、泉南地域で2回目の一斉健診法律相談会を開き、継続的な相談活動を続けました。 5月には兵庫尼崎クボタ国賠訴訟が提起され、環境型のアスベスト国賠訴訟が始まりました。 

 泉南アスベスト国賠訴訟は規制理論の争点が激しく闘わされ、毎回大法廷で傍聴人の下で弁論を尽くす一方、アスベストの危険性に関する「知見」について全国じん肺弁連との交流会を2回に亘って開きました。

 (4) 2008(H20)年2月3日、和歌山で2回目の一斉相談会などを行いつつ、立命館大学のシンポや研究会にも参加しました。 今まで弁護士が担当していた「健康管理手帳申請」は、市民の会が行うようになり、地元・原告団の力が出てきました。

 三菱マテリアル建材請求人団は2回の会社交渉を行い、調査を重ねて請求書を発送し、本社交渉や支店訪問を行うとともに、署名の取り組みを始めました。また、集団就職地だった隠岐島へ現地調査して、被害者の発掘も行いました。 

 5月には東京、横浜で200名規模の「首都圏建設アスベスト訴訟」が提起され、いよいよ全国的な広がりを見せてきました。 9月、三菱マテリアル建材との間で、補償協定締結という成果を勝ちとり、訴訟外での解決のモデルを作りました。

(5) 2009(H21)1月24日「大阪泉南地域のアスベスト国賠を勝たせる会」が発足し、運動がいよいよ本格化してきました。30万人公正判決署名が開始され、2月3月と2回に亘って東京に支援と署名の要請に行くほど、全国的な運動の広がりを追求できるようになってきました。

 2月21日には、全国の「企業責任追及訴訟交流会」を大阪で開催し、30件を超える訴訟の報告と交流がなされました。このとき呼びかけたMLには、札幌ボイラーマン訴訟の勝訴確定の報告が配信されるなど、各地の訴訟で大いに役立っています。

 11月、ゼネコン(鹿島・竹中)相手の訴訟を勝訴的和解で解決し、三井倉庫事件では港湾のアスベスト運搬業務に対する倉庫会社の責任を認めた判決を勝ち取りました。アスベスト被害の企業責任追及勝利の道筋ができました。

 (6) 2010(H22)年5月19日、泉南アスベスト国賠訴訟で、大阪地裁は昭和35年から一次的全部的に国の不作為責任があるという画期的な判決を下しました。近隣被害者は石綿肺ではないとした不十分な点もありましたが、公正判決署名は36万を超え、アスベスト健康被害の存在が社会に知られるようになりました。また、6月三菱マテリアル建材2次請求団の全員補償協定も成立しました。 (7) 2011(H23)年には、対企業事件で2件完全勝訴を得ました。

 しかし、大阪高裁は、泉南アスベスト国賠訴訟第1陣で逆転して不当判決を下し、国に被害救済の責任を認めませんでした。現在、最高裁への上告と並行して、大阪地裁の第2陣での勝訴判決を目指しています。

 2、大阪の成果

 (1) このような活動の中で、現時点での相談者数は600名を超えました。相談者には担当弁護士がつき、被害救済にあたります。約600名の中から労災申請をして認定を受けた方は、約30名に上ります。労災認定が却下されたため異議申立をし、再審査請求の中で認定されるというケースも出てきています。健康管理手帳は、約20名の方が新たに取得されました。2006年3月に施行されたアスベスト救済新法関係の認定は6名となっています。

 これらの活動の中でたくさんの被害者がまだまだ埋もれていることが判ってきました。現時点でもなお、民医連の方の協力で行っている阪南医療生協診療所での火・土曜日のアスベスト特別診療や市民の会の活動において、大体一月に1?2人ぐらいの被害者が新たに出てきているという状況です。

 弁護団改組から2011年6月で丸6年が経ちましたが、まだまだ埋もれている被害者がおられます。これを徹底して明らかにしていかなければ、本当の意味での救済にはなりませし、根本的な対策を立てることにもならないと考えます。

 (2) この間、交渉で3件の被害を救済・解決し、三菱マテリアル建材請求人団での補償協定では、じん肺訴訟の最高裁判決水準と比べて引けを取らない解決金を獲得し、時効問題や胸膜プラークも含めて一括解決しています。

(3) 前項のように、全国で初めて国の責任を全面的に認めた泉南アスベスト国賠判決は全国の国賠訴訟に大きな影響を与えるものです。その他、渡辺クラッチ工業事件では、介護の慰謝料も認める判決を得ました。

 3、弁護団の活動形態

 (1) 毎年新人弁護士が2?3名新たに加わっており、弁護団には現在約50名の弁護士が参加しています。各弁護士は、自分が担当する被害者の各種手続に協力して労災やアスベスト新法申請を行ったり、訴訟を担当したりして、被害者救済にあたっています。

 また、月2回のアスベスト特別診療にも分担して参加しています。

 (2) 同時に各課題(国賠が最大ですが)の各チームに参加して活動しています。また、医師を代表とする「職業病疫学リサーチセンター関西支部」や、「全国じん肺弁連」「全国公害弁連」などの運動体や、立命館大等のアスベスト関係シンポジウム等にも積極的に参加しています。

 (3) 定例の全体弁護団会議を月1回、国賠会議を月1回行って全体方針を決め、各チームは個別の会合・打ち合わせを行って約10件の訴訟を遂行しています。

 (4) 当初、労災やアスベスト新法の申請にほぼ全員が関わったため、その成果を2006年9月に「活用本」として出版しています。また、泉南アスベスト国賠に関して「アスベスト惨禍を国に問う」(かもがわ出版)を出版しました。

 (5) 組織として団長・副団長3名、事務局長、事務局次長を決めていますが、全員の意見で全体を運営し、毎年夏に合宿をして1年の総括を行っています。 財源は、労災・アスベスト新法などの認定や個別訴訟の勝訴・和解で得られた弁護士報酬からのカンパや、三菱マテリアル建材請求人団の解決金からのカンパ、国賠原告の支出などです。

 相談料や着手金は原則受け取らずに活動しており、各弁護士のボランティア活動となっていますが、被害救済と新しい判例になる訴訟に弁護団員が熱心に取り組んでいます。